あとがき――個人的手記

 私は資本主義の時代の終焉に対しては複雑な思いを抱いている。協働型コモンズの到来は楽しみだし、傷ついた地球を癒やして持続可能な潤沢さの経済を推進するのに最適の手段を、協働型コモンズが提供してくれるものと確信してもいる。それでもなお資本主義体制には、私の忌み嫌う側面ばかりではなく、讃美してやまない特徴もある(これは多くの人にも当てはまるのではないか。この体制の舵をとり、その創造的なダイナミズムと破壊的なまでに過剰な振る舞いの両方を間近で経験してきた人々もまた然(しか)りだろう)。
 私は起業家精神に満ちた家庭で育った。父のミルトン・リフキンは起業家としてその生涯を送った。一九二〇年代後期のハリウッドで黎明期の映画俳優として束の間働いたものの成功を収めることはなく、その後起業家に転じ、それに残りの人生を費やした。とくに意外でもない。多くの面で、起業家は市場の芸人であり、観衆の心をつかめるような営利目的の新しい創造的物語(ナラティブ)をたえず探し求め、説得力のある話をし、自らが生み出した世界に人々を誘う。スティーヴ・ジョブズを思い浮かべればよい。トーマス・エディソンからグーグルの共同創立者セルゲイ・ブリンとラリー・ペイジに至るまで、起業家は革新的発明によって一般大衆を興奮させ、人々の日常生活を一変させてきた。
 私自身の父は、プラスチック革命の草分けの一人だった。くすくす笑われる前に言っておくが、映画『卒業』でミスター・マクガイアが若き主人公ベンに向かって一言「プラスチック」とささやくのを耳にしたとき、私は映画館の座席で、なかば面白がり、なかばきまり悪がりながら身を縮めた。まるで、父が私にささやいているように思えたのだ。父は長年、私を捕まえては、家業の合成樹脂ビジネスに携わらせようとし、奇跡の材料であるプラスチックに囲まれた社会で人類を待ち受ける明るい未来について耳にタコができるほど聞かせてくれた。
 私の知るかぎり、父は一九五〇年代前期に初めてポリエチレンで袋を作った製造業者の一人だった。今日の若い世代はプラスチックのない世界など理解すべくもないが、当時はまだ合成樹脂は物珍しく、包装や梱包には通常、紙袋やボール紙、麻布、あるいは金属やガラスや木の容器が使われていた。
 私は父が毎晩、我が家のキッチンの小さなテーブルの周りに家族を座らせ、ポリ袋の使い方について新しいアイディアを語っては私たちを楽しませてくれたのを覚えている。食料や雑貨を入れればよい、クリーニング店で洗濯した衣服も、デパートの家電製品も、ポリシートでくるんだり、合成樹脂で梱包したりすればよい……。家具をすべてポリエチレン製のカバーで覆った家庭は、うちが最初だったかもしれない。暑い夏の日に、短パン姿で椅子にどすんと腰を下ろしたときに、ポリエチレンのカバーが貼りついてきた感触を、私は今でも思い出すことができる。
 父の興奮は周りにも伝染した。なにしろ骨の髄まで演技者だった父は、品物を買ってくれそうな人を自分の話にぐいぐい引き込んでその気にさせ、この世界をプラスチックで作り変える事業の片棒を担がせた。
 父は起業家として合成樹脂業界で二五年近く過ごしたが、その間、自分の仕事の金銭的な報いについて話すのを私は一度として聞いた覚えがない。お金のことはたえず頭の片隅にあったはずだが、父は起業家としての活動そのものにはるかに大きな関心を抱いていた。父は創造的な観点から、自分の取り組みを製造業というよりも芸術というふうに見ていた。自らが持てるものを与えることで人々の生活を少しばかり良くし、彼らの人生の役に立ちたかったのだ。資本主義経済を作り上げた起業の巨人たちと比べれば、父の取り組みは取るに足りない規模ではあったが、他の発明家や革新者の人生の物語も、父のものとほぼ同じ筋書きをたどる。
 これはなにも、金銭的な関心が働いていなかったということではないが、これまでの年月で私が出会った起業家たちは、拝金主義よりも創造的な行為の魅力によってはるかに強く衝き動かされていた。金銭的な固執が起こるのは普通、起業家の起こした企業が後に成熟し、市場で株式が公開され、投資収益率に関心を抱く株主を迎え入れたときだ。事業を創造的行為から冷徹で「金銭的に責任のある(利益により大きな注意を向けることを意味する婉曲表現)」ビジネスへと転換するために雇われた経営のプロたちによって起業家が自らの企業を追われるという話は、数え切れないほどある。
 もちろん父は最初のころ、自分の売っている無数のポリ袋がやがてゴミ埋立地に行き着き、環境を汚染しようなどとは想像もできなかっただろう。また、ポリエチレン製品は、でき上がるまでに二酸化炭素が排出されるので、地球の気候を変える上で主要な役割を果たすようになることも、予想のしようがなかったはずだ。
 自分の父親のキャリアについてつらつら考えてみると、二四〇年近く前にアダム・スミスが『国富論』で言及した見えざる手は、実際にはそれほど見えにくいものではないことが、私にははっきりわかる。父をはじめ無数の起業家は、起業家精神に駆り立てられてイノベーションを起こし、限界費用を削減し、より安価な財とサービスを市場にもたらし、経済成長に弾みをつけたのだ。その起業家精神が今や私たちをほぼゼロの限界費用へと導き、より多くの財とサービスがほぼ無料となって協働型コモンズでシェアされる、歴史上の新経済時代へと誘いつつある。
 需要と供給の見えざる手という稼働前提に久しく疑念を抱いていた人々にとって、限界費用がほぼゼロの社会(最も効率的な状態)が目前に迫っているという事実は、スミスによって最初に記述された体制が現に部分的にはうまく機能したことを示す「目に見える」証拠にほかならないが、注意点を四つ付記しておきたい。第一に、独占力の必然的集中によって事実上すべての営利事業部門で頻繁にイノベーションが妨げられ、見えざる手はしばしば長期にわたり、動きを鈍らされたり完全に封じられたりした。第二に、生産性と利益の増分を、それをいっしょになって生み出した労働者がシェアできるよう保障するために見えざる手が貢献することはほとんどなかった。労働者は自らの労働に対する公正な見返りを確保するために、職種別組合や政治圧力団体を結成し、経営陣と終始闘わなくてはならなかった。第三に、資本主義はこの体制に属する人全員の暮らしを劇的に改善する一方で、いかなる合理的基準に照らそうとも、それが体制の周辺部で行なってきたことは目も当てられないほど劣悪で、そこで働く人々は体制内で守られてぬくぬくと暮らしている人々の便宜を図るため、容赦なく搾取された。そして第四に、需要と供給の見えざる手の稼働ロジックは、市場メカニズムの外にまで差し伸べられることはついぞなく、したがって、資本主義体制が原材料を引き出し、廃棄物を投棄することでより広範な環境に対してなした害を、けっして説明できなかった。
 それでも、スミスの見えざる手は侮り難い社会的力であることが判明したが、それは彼が打ち出した哲学的理由からではなかった。スミスの理論は、市場経済においては各人が公益の促進など意図しないまま、資産の獲得と交換という形で自らの私利を追求し、それによって「図らずも」社会の全般的幸福を増進するという考え方を核としている。
 ここでスミスの言葉をそのまま引用してみよう。

   各人は必然的に、社会の年間収入をできうるかぎり多くすべく努力することになる。とはいえ一般に、各人は公益の促進を意図しているわけでもなければ、自らが公益をどれほど促進しているか認識しているわけでもない……それぞれ自らを利することのみを意図しているのだが、そうするなかで、他の多くの場合と同様、見えざる手に導かれ、自らの意図にはまったく含まれぬ目的の達成を促進する。そして、その目的が各人の意図に含まれていないからといって、それは社会にとって必ずしも悪いことではない。各人は、自らの利益を追求すれば、実際に社会の利益の促進を意図しているときよりも、それを効果的に促進できることが多いからだ。公益のために商売を営んでいると称する人が大いなる善行をなしたなどという話は聞いたためしがない(1)

 各人は他者の利益など念頭にないと主張したために、スミスは奇妙にも、古典的経済理論の主要な教えの一つが持つダイナミックな力を取り違える形になった。その力は、売り手が新たなイノベーションをたゆまず探求して生産性を上げようとするために働く。この探求のおかげで売り手は運営コストや、財とサービスの価格を下げ、買ってくれそうな人の心をつかみ、利益率を向上させ、マーケットシェアを高められる。だがスミスは、売り手と買い手に互恵的関係を結ばせ、見えざる手を働かせる決定的に重要な要素を、なぜか完全に見落とした。それは、たえずより良い財とサービスをより安価で提供することで買い手の個人的幸福に資するという売り手の役割だ。買い手のニーズや願望、欲求につねに心を配り、それに応じることで、資本主義の起業家は成功を収める。起業家も企業も、顧客となりそうな人の幸福に気をつけていなければ、ほどなく事業が破綻する。
 つまり、起業家は成功したいのなら、他者の幸福に敏感でいるほうが得なのだ。ヘンリー・フォードはそれを理解しており、安価で耐久性のある自動車を提供して、何百万もの労働者がハンドルを握って楽な生活を送れるようにすることを人生における使命とした。スティーヴ・ジョブズもそれを理解していた。最先端の通信テクノロジーを提供して、非常に移動性が高くグローバルに結びついた人々のニーズや熱望を満たすことに、彼は全身全霊を傾けた。市場において他者の幸福を促進することで、起業家としての自らの私利を追求するという、この二重の役割こそが、私たちを限界費用がほぼゼロの社会へと果てしなく近づけてきたのだ。
 ほぼゼロの限界費用へ、ほぼ無料の財とサービスへと向かうこの進撃は、見えざる手の稼働ロジックの正当性を部分的に立証したばかりか、興味深いことに、デイヴィッド・ヒュームやジェレミー・ベンサムらが市場資本主義を擁護するために提示した功利主義的議論が正しかったことも裏づけた。市場で交換される私有財産は自然法則の所産ではなく、純粋に人間の慣習の産物であり、「公共の福祉を推進するために」最も優れた仕組みであるから正当化しうるとヒュームとベンサムが主張したことを思い出してほしい。だが、彼らは本当に正しかったのだろうか?
 市場メカニズムは、公共の福祉を促進するための最も効率的な状態と考えられている、ほぼゼロの限界費用と、ほぼ無料の財とサービスを実現する見込みを私たちが持つまでにしたのだから、市場で交換される私有財産は公共の福祉を促進するのに最適の手段であるというヒュームとベンサムの主張は、その功利主義的な意味合いでは正しかったわけだ。では何が皮肉かと言えばそれは、限界費用がほぼゼロの状態に行き着いたときに、財とサービスがほぼ無料となり、利幅が消えてなくなり、市場で交換される私有財産は存在理由を失うことだ。市場メカニズムは、潤沢さの経済を核として構成されるほぼ無料の財とサービスの世界においてしだいに不要となり、資本主義はニッチ経済領域へと縮小する。
 したがって、資本主義市場における私有財産の交換や蓄積としっかり結びついた、ヒュームとベンサム一流の功利主義は、けっして永遠の真実たるべく意図されたものではなく、一九世紀と二〇世紀の第一次・第二次産業革命の全般にわたって影響を及ぼすことになる、当時作用していた特定の経済的力の具体的記述にすぎなかったと言わざるをえない。一九世紀の功利主義の経済学者と、そのあとを継いだ二〇世紀の経済学者は、自らが信奉するまさにその理論がやがてお役御免になるという見通しを示されたら肝を潰すことだろう。ただしその見通しが現実となるのは、新しい経済秩序の入口へと、その理論が社会を導いてからのことだ。そこでは、発展しつつあるソーシャルエコノミーのネットワーク化された巨大なコモンズで行なわれる協働型の営みを通して、公共の福祉の促進が最もうまく達成される。
 稀少性と利益を中心に構成された経済体制が、ほぼ無料の財とサービスならびに潤沢さを特徴とする経済につながるという考え方そのものが、あまりに直感に反するので、受け容れ難いことは確かだ。とはいえ、それこそまさに今起こりつつあることにほかならない。
 資本主義体制による支配の時代が終わりを迎えようとしているときに、その体制の評価を下すのは容易なことではない。資本主義市場は、それを熱心に支持する人々が主張するような救世主ではなかった。だが、資本主義市場を声高に批判する人々が主張するような悪魔の化身でもなかった。むしろそれが登場した当時としては、エネルギーとコミュニケーションのマトリックスとそれに付随する諸産業が、垂直統合型の企業とそれに伴う規模の経済を支えるために莫大な金融資本の集中を必要とする経済を構成するには、最も柔軟で効率的なメカニズムだったのだ。
 というわけで私は、父をはじめ多くの人を衝き動かした起業家精神を、留保付きで称讃する一方で、資本主義の終焉を悼みはしない。コモンズにおける協働型ネットワークに組み込まれた世代を活気づける新しい社会的起業家精神は(市場に組み込まれた営利的起業家精神に劣らず熱烈に受け容れられているとはいえ)、父の起業家精神とは種類を異にする。この新しい精神は、従来のものほど自主的ではなく、より相互作用的で、金銭的利益の追求にはそれほど関心がなく、生活の質の増進に傾倒しており、市場資本の蓄積に夢中ではなく、社会関係資本の蓄積に熱を上げ、所有には心を奪われておらず、アクセスしてシェアすることを望み、自然を搾取せずに、地球の生態系の持続可能性と責任ある管理を重視するものだ。新しい社会的起業家は、見えざる手に動かされるよりも、支援の手を差し伸べたいという動機に駆り立てられることのほうが多い。彼らは功利主義的な傾向がはるかに弱く、共感に基づいて関与する度合いがずっと大きい。
 私たちは見えざる手と市場メカニズムに固有のロジックの助けを借りて、限界費用がほぼゼロの社会を実現し、人類の旅路を稀少性の経済から持続可能な潤沢さの経済へと転換できる、決定的に重要な局面まで行き着くことができたが、起業家たちが単独でそれを成し遂げたのではないことは指摘しておく必要がある。彼らはこの手柄を、コモンズにおけるソーシャルエコノミーという考え方をあくまで貫いてきた先見性ある人々と分かち合わなければならない。情報の生成と送信の限界費用をほぼゼロにするのを助けた演算能力の指数関数的向上は、主としてグローバル企業が原動力となっていた。一方、インターネットは政府の科学者と大学の学者によって発明され、ワールドワイドウェブはコモンズの振興に関心を抱いたコンピューター科学者によって生み出されたことを思い出してほしい。名高いiPhoneを「スマート」にするカギを握るテクノロジーであるGPSやタッチパネル、音声起動式アシスタント機能(たとえば「シリ」)は、政府の資金提供を受けた研究の成果だ。LINUXやウィキペディア、MOOCがおもにソーシャルエコノミー由来のインスピレーションの所産であるのに対して、フェイスブックやツイッターは、成功して金銭的利益を得るには社会的(ソーシャル)コモンズを打ち立てることに頼らざるをえない営利事業だ。再生可能エネルギー開発における飛躍的発展は、政府や大学の研究所と、市場を動かしている民間企業の両方がもたらした。同様に、3Dプリンティング革命を促したのも、非営利のファブラボと営利の開発者の両方だ。
 肝心なのは、市場の起業家精神が、経済をほぼゼロの限界費用へ、ほぼ無料の財とサービスへと駆り立てるのを助けている一方で、それが可能なのはインフラ――政府、コモンズのソーシャルエコノミー、市場という三つの部門すべての創造的コンテンツが実現させ、私たちの能力を高めてくれているインフラ――のおかげであるという点だ。これら三部門すべての関係者が貢献しているという事実からは、新たな経済パラダイムも同様に、政府、市場、コモンズによるハイブリッドの事業であり続けることが想定されるが、今世紀のなかばまでには、社会の経済生活の大半が協働型コモンズを中心に営まれるようになっている可能性が高い。
 私は本書を締めくくる言葉を、資本主義体制の深奥に鎮座し、迫り来る限界費用がほぼゼロの社会が自らの破滅を招くことを恐れている人々に向けて贈りたい。経済はけっして静的ではない。たえず発展し続け、ときおりまったく新しい形態へと変容する。同様に、企業も経済が変化するなかで現れては消えてゆく。MITスローン・スクール・オブ・マネジメントのピーター・センゲは、フォーチュン五〇〇社に入っている企業の平均寿命がわずか三〇年前後であることを指摘している。事実、一九五五年に初めて発表されたフォーチュン五〇〇社のリストに載った大企業のうち、二〇一二年にもまだリストに残っていた企業は七一しかなかった(2)
 もちろん、ある日目が覚めたら突然、古い経済秩序が総崩れになって、新たな体制がその場所にするっと収まっていたなどという事態が発生するわけではない。第二次産業革命は、第一次産業革命が全速で前進中の一八九〇年代に始まり、その後も半世紀にわたって第一次産業革命と並走してから、ようやく経済の主流となったことを思い出してほしい。この長い移行期に、第一次産業革命の業界と企業のうち、衰えて潰えたものは多数あったが、みながみなその憂き目に遭ったわけではない。生き延びたものは、途中で自らを作り変え、うまく均衡を保つ術を見出し、二つの産業時代に同時に存在しつつ、細心の注意を払いながら古いモデルをお役御免にし、新しいモデルへと徐々に移行することができた。それよりずっと多くの新規企業が、第二次産業革命のもたらした新たな機会を捉え、競争の場に残されていた余地をさっさと埋めていった。
 同様に今日、第二次産業革命によって誕生した多くの企業がそれに匹敵する機会と選択肢を目前にしている。すでに第三次産業革命のただなかへ飛び込み、新しいビジネスモデルとサービスを自社の持ち駒に加え、協働型コモンズと従来の資本主義市場の両方から成るハイブリッド経済へのパラダイムシフトに追従する移行戦略を練っている企業もある。
 来るべき、限界費用がほぼゼロの社会によって解き放たれる強大な社会的力は、破壊的であると同時に解放的でもある。その力は、削そ がれることも押し戻されることもなさそうだ。資本主義の時代から協働の時代への移行は世界のあらゆる地域で勢いを増している――そしてその勢いに乗り、二一世紀前半に地上に暮らすすべての人のために、手遅れにならないうちに、生物圏の受けてきた傷を癒やし、より公正で人道に適った持続可能なグローバル経済を生み出せることを願ってやまない。

Adam Smith, An Inquiry Into the Nature and Causes of the Wealth of Nations (London: W. Strahan and T.Cadell, 1776)[邦訳:『国富論 一~四』(大河内一男監訳、玉野井芳郎・田添京二・大河内暁男訳、中央クラシックス、2010年)他].

Toby Elwin, “The Cost of Culture, a 50% Turnover of the Fortune 500,” Toby Elwin, February 4, 2010,http://www.tobyelwin.com/the-cost-of-culture-a-50-turnover-of-the-fortune-500/( 2013年11月6日 にアクセス).