ヘミングウェイ「白い象のような山並み」を読み解く ――新刊『教養としてのアメリカ短篇小説』を試し読み!
ヘミングウェイ「白い象のような山並み」を読み解く ――新刊『教養としてのアメリカ短篇小説』を試し読み!
アメリカ文学を読むうえでぜひ知っておきたいのが、歴史や文化・社会といった”アメリカ”という国の背景知識。
10月15日に発売された新刊『教養としてのアメリカ短篇小説』は、そうした背景知識についても触れながら、「近くて遠い国・アメリカ」の文学をより深く理解できるようになることを目指す1冊です。
著者の都甲幸治さんは、NHK・Eテレで月曜午後10時25分から放送中の「100分de名著 ヘミングウェイ スペシャル」(10月期)で講師を務められています。そこで今回は『教養としてのアメリカ短篇小説』の中から、「第7講 妊娠をめぐる『対決』――ヘミングウェイ「白い象のような山並み」」の試し読みをお届けします!!
「第7講 妊娠をめぐる『対決』――ヘミングウェイ「白い象のような山並み」」を試し読み!!
急行を待つあいだの会話劇
今回はアーネスト・ヘミングウェイの「白い象のような山並み」という短篇について考えていきます。『男だけの世界』という短篇集に収録されている作品です。
まずあらすじを見ておきましょう。舞台はスペインで、エブロ渓谷という場所にほど近い田舎の駅に、アメリカ人男性と若い女性のカップルがいる。乗り継ぎなのか、いまから四十分後に到着する予定のバルセロナ発マドリード行の急行を待っています。
この二人は、ちょっとしたレストランのようなところでビールなどを飲みながら、一見くつろいでいる風なんですけれども、会話の雰囲気はものすごくピリついている。ヘミングウェイの特徴でもある削ぎ落した言葉で書いてあるので、読者は最初何が起こっているのかよく分からないのですが、どうやら女性の妊娠が発覚したらしい。この二人は結婚しておらず、男性のほうはおそらく結婚するつもりもない。
男は女を説得し、堕胎させようとしている。しかも、男が言ったから堕ろすのではなくて、女のほうから自発的に「じゃあ堕ろす」と言わせようと画策しているのが透けて見えるんですね。
当然ながら、そうした態度は極度の不信を呼び起こします。女は意地でも堕ろすと言わない。あるいは、「そこまで言うなら、私の身体なんてどうなってもいいから、堕ろす」などと言って、男の意図をはぐらかすというか、話の焦点をずらしていく。
表面的には、男女の静かで平坦な感じの会話が続くのですが、水面下では激しいディスカッションが繰り広げられている。最後には、あまりにも苛立ってしまった女性のほうが、「お願いだから黙って。もうこれ以上しゃべらないで。お願い、お願い」と繰り返して議論は終わります。そのときには、あと五分で急行が到着するという時間になっている。
日本語訳で十ページもないような本当に短い作品なのですが、ヘミングウェイのいろいろな特徴がよく表れているのではないかと思います。
ロスト・ジェネレーションの代表者
ヘミングウェイは「ロスト・ジェネレーション」を代表する作家の一人です。「ロスト・ジェネレーション」とは、彼の『日はまた昇る』という長篇のエピグラフに記されたガートルード・スタインの言葉に由来する表現です。
彼女は前出のようにパリに住んでいました。自分の車を預けてある自動車修理工場に行った際、見習いの若者が「お前たちはみんな“une génération perdue” だな」(今どきの若いやつらは何をやらせてもダメだな)と怒られている光景を見て、ほぼ一世代後輩のヘミングウェイに対して「あなたたちはみんな、堕ロスト・ジェネレーション落した世代なのよね」と英語に直訳して言った、というエピソードが伝えられています。それが、信じるべきものを第一次世界大戦で見失ってしまい、何をするべきかわからなくなった若者たちの世代を意味することになっていく。戦争の影が色濃く見える言葉です。
ヘミングウェイは一八九九年、イリノイ州シカゴ郊外の生まれ。彼もフォークナーと同様、学校があまり合わなかったようです。高校を卒業すると、これ以上学校に閉じ込められるのは嫌だということで大学には進学せず、都市部のカンザスシティに出て『カンザスシティ・スター』紙の新聞記者になる。ここでジャーナリストとして文章を書きはじめます。
ジャーナリストは文学者と違って、誰にでもわかる文章で書かなければならない。紙面は限られており、簡潔な言葉で内容が伝わるようにしなければならない。そして、内面的なことよりも、何が起こったのか、実際の動きをきっちりとらえて言葉で表現しなければならない。そういった、新聞記者としての文章修業を若いうちにしたことで、作家としてはかなり独特な彼の文体が生まれていくことになります。
ヘミングウェイの文体は「ハードボイルド」と言われます。具体的には、まず形容詞や副詞といった修飾語が極端に少ない。そして、簡潔で短い一文を連ねていくスタイルをつくりあげる。
これは当時、かなり革命的な文体でした。それまでの価値観でいうと、文学者とは豊富な語彙を使いこなし、華麗で巧みな文章を操れる人のことだった。長くなっても意味が明確であるような、そんな文章を書けることが作家として高いスキルを持っている証明であると思われていた。ヘミングウェイの文章はそうしたものと正反対です。むしろ、一般的な新聞記事より、さらに簡潔に書こうとしたんですね。
彼がこのような文体をつくりあげた背景には、もともとアメリカに存在した語彙の少ない大衆文学のようなものと、少ない言葉で研ぎ澄ました作品を書いていくヨーロッパの前衛文学の、両方の影響があったとも言われています。また、即物的な描写を重視する文体は、戦争体験による抽象的なものへの疑いも反映していると考えられています。
「教養としてのアメリカ短篇小説」