会話の外側に出る女

 女は「今、どういう気分だい?」と訊かれても、「別に何とも思わないし、どういうことか分かってるから」などと答えて、ずっと抵抗する。なんですけれども、それが続かないだろうことも予想できる。最初に急行を待っている状況が設定されているので、汽車が着いたら終わりになる。対立が極点まで到達したところで、とうとう女性は会話の外側に出てしまうんですね。「ねえ、ちょっとお互いに黙らない?」と言う。そして、男がなおも会話を続けようとすると、「どうかおねがい、おねがい、おねがい、おねがい、おねがい、おねがいだから、黙ってくれない?」と叫ぶ。「おねがい」と、一度言えばわかるようなことを何度も反復して言う部分で、言葉にならない気持ち……それは、結局のところ愛されていないことへの気づきなのか絶望なのか、対話が成立しそうで成立しない、人の話を聞いているようで全然変わる気はない相手への怒りなのか、あるいはそれらすべてを総合した大量の感情なのか。ヘミングウェイはいちいち書かない。「おねがい」という言葉を繰り返すことで、読者に感じさせる。そこが非常にうまいところです。

   「気分はよくなったかい?」彼は訊いた。
   「いいわよ」彼女は答えた。「べつにどうってことないんですもの。いい気分よ、あたし」

 男は「気分がよくなったか」と訊ねているのですが、女は別に嫌なことなんてないし、気分も悪くない、何もなかった、と言いだす。質問に対する回答ではありません。このとき女は「もうこの男はダメだな」と見切りをつけている。「この関係は終わったな」と、ある種スッキリしてしまったということだと思います。駅で急行を待つ、ほんの数十分くらいの間に、女性がその境地に到達していくのがよく分かる。

 痴話ゲンカの論理学みたいな話で、こういう短いセリフのやり取りを積み重ねて、ある種、詰将棋のような感じで書いている。技術的には非常に見事とも言えるんですけれども、読んでいて、なぜここまでして男女のすれ違いを理詰めで追究していくのか……という感じもします。

 この背景にあるのは、文学における、男女の関係が妊娠をきっかけに変化して、今までの生き方を変えて真面目になるとか、あるいは人生が崩壊してしまうという、ひとつの「型」ともいえるプロットです。日本の近現代文学について斎藤美奈子が『妊娠小説』という評論集を書いているくらいで、アメリカ文学に限った「型」ではないのですが、妊娠という出来事を扱って、永久に自由でイノセントな存在であり続けることはできないんだ、と思い知らせてくる。

 そもそもアメリカ合衆国自体、長い歴史のうちに汚れてしまったヨーロッパを出て、自由で無垢な大地であるアメリカ大陸に地上の天国を開くのだ、と考えたピューリタンたちによって建設された国です。文明から逃れた世界に行くことで自由を感じる、という思考は、アメリカ文学の中でも脈々と続いていると思います。レスリー・A・フィードラーは『アメリカ小説における愛と死』という著作で、マーク・トウェインの『トム・ソーヤーの冒険』や『ハックルベリー・フィンの冒険』に関してこう述べています。文明の象徴であるポリーおばさんにトムは気を使いながらも、悪であることに憧れ、泥棒ごっこや海賊ごっこをする。そしてハックは一度ダグラス未亡人の家に住むことになっても、自然の中に逃げてしまう。もちろん生涯にわたって文明の外側にいることはなかなか人間にはできません。結局はトムも冒険好きな心を生涯持ち続けながらも、真面目な銀行員や弁護士などになることでしょう。でなければハックの父親のように野垂れ死にしかねません。それでも、トムの常に自由でありたいという気持ちは読者の心を打つのです。

 アメリカ文学の根本的価値観に、自由で無垢でいつでもどこにでも行けるし何でもやれるという状態、特に男性のそうした状態が最高だという認識があるので、その限界を見せてくれるという点で「白い象のような山並み」がすぐれた作品になっていると言えます。
 ヘミングウェイには「氷山の一角理論」というよく知られた主張があって、『午後の死』という文章のなかで次のように書かれています。

   もし作家が、自分の書いている主題を熟知しているなら、そのすべてを書く必要はない。その文章が十分な真実味を備えて書かれているなら、読者は省略された部分も強く感得できるはずである。動く氷山の威厳は、水面下に隠された八分の七の部分に存するのだ。

 ヘミングウェイの作品は非常に簡潔な文章で書かれていますし、彼の書き方に学んだ後の作家、たとえばこのあと見るレイモンド・カーヴァーなどもそうですが、単語のレベルが難しくない、単語の数が少ないから作品を読むのが簡単かと言うと、必ずしもそうではない。むしろたくさん言葉を費やして説明を多くしたほうが分かりやすかったりする。

 今回の「白い象のような山並み」も、背景や風景描写などの説明が最小限で、短い会話がずっと続くだけなので、背後にあるものを読み取るのがけっこう難しい。逆に言うと、ヒントが少ないパズルを解くように、細部に注目しながら、一つの特徴的な表現とか、ある表現が繰り返される部分にどのような感情が流れているのか、どういったコミュニケーションが起こっているのか、あるいはすれ違いが起こっているのかを細かく読んでいくのがとても大事になってきます。日本語で読んでも面白いのですが、英語で読んでみると細かいニュアンスがつかめると思います。

〔読書リスト〕
倉林秀男・河田英介『ヘミングウェイで学ぶ英文法』(アスク出版、二〇一九)
斎藤美奈子『妊娠小説』(ちくま文庫、一九九七)
フィードラー/佐伯彰一・井上謙治・行方昭夫・入江隆則訳『アメリカ小説における愛と死』(新潮社、一九八九)

『教養としてのアメリカ短篇小説』のご購入はこちら!

「第7講 妊娠をめぐる『対決』――ヘミングウェイ「白い象のような山並み」」、いかがでしたか?背景知識を知ることで、文学への理解がより深まったのではないでしょうか。
『教養としてのアメリカ短篇小説』では、他にも、エドガー・アラン・ポーやマーク・トウェインなど、アメリカ文学の「王道」ともいえる作家の短篇小説を読み解いていきます。
深く読み解くことで、「教養」を身につけていきましょう!

ご購入はこちら↓

「教養としてのアメリカ短篇小説」

<前のページへ       >最初のページへ